辺野古新基地計画は「普天間の代替・沖縄県民の負担軽減」ではありません

普天間基地海兵隊のヘリコプター訓練用で施設は老朽化し、米軍は最新鋭の新基地を求めていました。弾薬は嘉手納まで搭載に行きます。(人のいる場所が近すぎて弾薬庫を置けません)

辺野古新基地計画が出来る経緯は、

1966年1月 キャンプ・シュワブに、駐屯・訓練・弾薬庫の三つの複合基地群を持つ米海兵隊が、ベトナム戦争の出撃基地として辺野古の浅瀬を埋めて滑走路長3000mの飛行場を計画しました。

同年 12月 前記の飛行場計画に海軍が、水深の深い大浦湾に軍港計画を加えました。

1995年   少女暴行事件をきっかけに、基地返還の運動が盛り上がりました。

1996年12月 基地返還の合意(SACO)の後米国防総省が出した構想では 滑走路長1500mの飛行場を2本の桟橋で陸地とつなぎ、CALA=戦闘機装弾場(飛行機に銃弾や爆弾を積み込む場所)が追加されました。

2002年7月 日本政府が閣議決定した構想は、前記の米軍構想と同様でした。但し、政府は「米軍構想は見たことない」と発言しています。

2005年10月 日本政府は、滑走路長を1800mに延長しました。

米軍は、辺野古基地に、普天間基地に配備されているヘリコプターCH46Eに変えて、オスプレイMV22を配備する予定です。オスプレイはプロペラの方向を変えられる飛行機で、ヘリコプターに比べ搭載量は3倍、速度は2倍、航続距離は5倍です。技術的に未完成で2000年末時点で15機配備した内4機墜落しています。一旦は生産中止になりましたが、普天間配備を視野に、去年から再び生産されています。