映画 “ 鶴彬(つるあきら) こころの軌跡 ” 上映会について 神山征二郎監督


上映前に、「憲法九条の会・生駒」の、創立以来の活動などを紹介(予定)

日時(予定) 6月13日(日)午後
場所(予定) 生駒市コミュニティセンター文化ホール
入場料(案) 前売券(900円)当日券(1200円)
___________________
 この企画は、鹿ノ台在住の会員Nさん(児童文学者)に吉橋 道夫氏から、氏が持っておられる上映権(12万円)を「鹿ノ台」で使っていただいてもよいとのお話があったことから、「生駒」で取り組むことになりました。
吉橋 道夫氏は昨年出版された「小説 鶴 彬 ~暁を抱いて~」の著者で、児童文学の師匠です。
具体化は、実行委員会を立ち上げて進めたいと思います。
ご協力のほど、よろしくお願いします。
___________________

鶴 彬(つる あきら)について :フリー百科事典(Wikipedia)より

1909年1月1日、石川県河北軍高松町(現かほく市)で生れる。
プロレタリア文学の影響を強く受けた代表的な反戦川柳作家。
本名、喜多 一二(きた かつじ)

・ 小学校在籍中から、『北国新聞』の子ども欄に短歌・俳句を投稿。
・1917年上京。近所の川柳家、岡田太一(澄水)に川柳の指導を受け、句作を
はじめる。
1924年ペンネーム「喜多一児」で「北国歌壇」(『北国新聞』)に作品発表。
・1925年、田中五呂八の指導のもと、川柳雑誌『影像』『氷原』に作品発表。
・1926年、養父経営の工場が閉鎖、いとこを頼って、大阪で工場労働者として1年はたらき、高松町に帰郷。このころ森田一二の影響をうけて、プロレタリア川柳へと傾斜。『氷原』『影像』など、川柳誌で続々とボイコットの対象となって、発表の場をせばめられる。
・1927年、上京して、井上剣花坊・井上信子に師事。活動の軸を『川柳人』にシフト。
・1928年、高松町に帰郷。「高松川柳会」を設立し、プロレタリア川柳を唱導。全日本無産者芸術連盟(ナップ)高松支部結成。高松川柳会への弾圧で喜多一二ら4名検束される。筆名を「山下 秀」、さらに「鶴 彬」と。
・1930年、徴兵検査で甲種合格、第9師団歩兵第7連隊(金沢)に入隊するが、陸軍記念日の「質問」などにより重営倉に。
・1931年、『無産青年』所持等により、いわゆる七連隊赤化事件の主犯とされ、治安維持法違反で大阪衛戍監獄に収監、刑期1年8か月。
・1935年、上京。
・1937年、東京深川の木材通信社に就職。12月作品が反軍的として治安維持法違反で再逮捕、中野区野方署に留置される。
・1938年、野方署で赤痢に罹患。豊多摩病院に入院、同年9月14日死去。29歳。

参考文献
・「現代仮名遣い版 鶴彬全川柳 手と足をもいだ丸太にしてかえし」
邑書林)1977年
・ 一叩人編「反戦川柳人・鶴彬-作品と時代-」(たいまつ社)1978年
・「反戦柳家 鶴彬」 深井一郎著(日本機関紙出版センター)1998年
・ 一叩人編「鶴彬全集」澤地久枝 増補改定版(500部限定)1998年